ゴーシュ

インドの虎狩りとは、ゴーシュが弾く猛然とした曲であることが判明した。
動物たちに助けられながら、しらずしらず練習を重ね、演奏会で立派に弾き終えるというお話だった。
意味深かったり、悲しい結末だったりすることの多い宮沢賢治の作品ではハッピーエンドなのだろう。
ネズミも狸も助けてくれない普通の人は先生の教えを思い起こしながら練習に励むしかない。
で、ようやく1週間経って次のレッスン。待ち遠しい日はなかなかやってこない。
先生みたいに素敵な音で弾こうと励んでみたものの、
べぇぇぇぇ、とか
ぎぃぃぃぃ、とか
きぇぇぇぇ、とか
怪鳥の奇声か、牧場の喧騒のような音が並ぶ。自分でもおぞましいのに、先生は生徒たちよりもずっと良い耳を持っているのに、こんな音を聞かなければいけないとは、因果な職業である。
ちょうちょうの3の指も、こぎつねの1の指も見せてもらうと、あら、納得。腕の角度が変わるのね。
ときどき音がはまると、なかなか良い感じ。
こんな短い、簡単な(に見える)曲ですら、ちゃんと弾くのは難しい。まして、何回もちゃんと弾くのはもっと難しい。長い曲を聴衆の前で弾き切るプロの演奏家と言うのは、本当にすごい人たちなんだ。しみじみ感心する。気が遠くなるくらいの時間の訓練の積み重ねと、芸術的なセンスのたまものなのだろう。
輪廻転生を待つ以外、それだけの時間と情熱をひねり出すことのできない中年の趣味のおけいこは、ザックリ進んでいく。無窮動なる曲まで進む。いったい、これはなんと読んでどんな意味なんだ???
むきゅうどう
窮:きわむ
Perpetual:絶え間なく
どうやら絶え間なく動く、という意味らしい。用例はおしゃべり。なるほど、ご婦人の井戸端会議のようにパラパラパラパラ続くということなんだな。なるほど、絶え間なく八分音符が続いている。忙しい指の運動。

ここまででタイムアップ。楽しい時間は早く過ぎる。