長い目

人はどこまで成長するのか、あるいはいつまで成長することができるのだろうか。


大人になってから音楽を始めると「そこそこまで」と、いうのを耳にする。実際の感覚でもそうだろう、とは思う。しかし、その理由とは何なのだろう。まず思いつくのは、練習時間。


5歳から始めて30歳でプロになったとして、毎日3時間練習していたら、1年で千時間、25年で2万5千時間。まあ、実際には体力がつくまでの間は3時間の練習は無理だろうし、中学生くらいの年齢からは5時間も6時間も練習するのだろうから3万時間くらいになるだろうか。


大人のお稽古、特に勤め人の場合では、毎日楽器に触るのを目標にするくらい練習できる時間は限られている。ウィークデイには30分〜1時間、週末は2〜3時間、週10時間。これだけ練習したらおそらく練習以外のことはほとんど何もできないだろう。これ以上の時間を長期的定期的に作れるとしたら、すでに家庭生活、社会生活のいずれか、あるいは両方が崩壊しているはずである。


1年で500時間。3万時間に達するには60年。40歳からスタートしたら100歳まで長生きすればプロになれるかもしれない。


真偽のほどは別にして俗に「1万時間」やれば、そこそこになれると言う。毎日3時間で10年、毎日1時間で30年。


そこそこになれるのが先か、人生が終わるのが先か…。そこまで体力気力が続くのか。


体力のピーク、これも色々な種類の体力があり、色々な説があるが、運動など動的な筋力などはせいぜい30歳くらいだろうか。世界的に活躍するスポーツ選手も30代からはベテランと呼ばれることが多い、ということは20代がピークということか。いくつかのスポーツでは10台が主流で20代でベテラン扱いになってしまったりもする。


体力のピークを越えても、経験がパフォーマンスに大きく関与するために40歳を過ぎても現役を続けられるようなスポーツもなくはない。


持久力などは比較的長いこと保てるらしい。ゆえにマラソンや山歩きは中高年に人気がある。


楽家はスポーツ選手ほど引退は早くない。高齢の音楽家が「昔のような演奏はできない」と嘆いていたりするが、老齢になっても充分にプロとしてやっていけるだけの実力を維持していたりする。パフォーマンスのうち体力に依存する部分が少ない、ということなのだろう。では、何が異なるのか。やはり技術、テクニックだろう。


技術、テクニックは神経の問題となる。その動作をするための筋肉をタイミング良く動かす神経回路が作られるかどうか。これは、明らかに子供の方が効率が良い。誕生後しばらくをピークとしてどんどんとその力は衰えて行く。およそ10歳〜12歳でほぼ神経回路はほぼ完成してしまうため、それより後に技術やテクニックを身につけるのは子供ほど楽ではない。子供は砂に水がしみ込むように吸収し、大人はなかなかできるようにならない、あるいはいつまでたってもできるようにならない、のはこのせいだろう。


神経回路を作るにはその動作(合理的で効率のよい動作)を繰り返し行い、そのように筋肉を動かせるようにならなければならない。何度も繰り返すには時間がかかる。大いに発達していく子供でも繰り返し練習しなければできないのであれば、その効率の悪い大人の場合は…、子供の何倍も繰り返して初めて身につくか、あるいは何倍も繰り返しても身につけることができないか。ションボリ、である。


しかし、大人には「似たような経験を応用する」技術が備わっている。まっさらの白紙、まったく回路のないところに新しい回路を作るには何百、何千と繰り返さなければいけないかもしれないが、すでにある回路をお借りして使えば何十の繰り返しで新しい回路を構築することができるかもしれない。


まあ「悪癖」などという、すでに出来上がってしまった良ろしくない回路を似たような別の回路にするのは非常に困難なことではあるのだが…。


結局、合理的かつ効果的な動作の習得には繰り返し練習が必要であり、その習得には若年者は有利であり、中高年は不利である。また、そのためにある程度の時間が必要であり、若年者にはそのために使える時間が多くあり、中高年者には多くない。しかし、それは習得ができないことを意味するのではなく、若年者ほど短期間ではできない可能性が高い、ということにしか過ぎない。


一万時間かぁ、先は長いなぁ。



にほんブログ村 クラシックブログ チェロへ
にほんブログ村