下校放送

チェロのブログでんこ先生の話題を頂戴して、音楽と記憶の関わりなどについて。

なぜ、ある音楽をきっかけにその時の記憶がよみがえるのだろう。

昔流行った曲が流れるとその頃の町並みやファッション、友達や出来事を鮮明に思い出す。思い起こそうと思って思い出す、というよりは勝手に映像がポップアップする、と言う方が近い。

おそらく、最近はやりの(以前から多くの人が感じていることだろうから最近の研究だけではないだろうが)脳研究などでとっくに明らかにされては居るのだろうが、しかし個人のレベルとしてはやはり「不思議」な現象と言える。何年も意識に上ることの無かったひとコマが鮮やかに再現されるのだから。

事物の記憶はすぐに薄れるが、感情の伴う記憶は強く残るらしい。何を食べたか忘れても、美味しかった(まずかった)ことは覚えている、ということか。音楽はメロディやリズムの連続としてではなく、全体として感性に刻まれるものなのかもしれない。確かに、歌詞は忘れてもメロディは覚えている。

で、下校放送。高校生活の一日の最後に流れていたのは「悲しみのトレアーデ」(たぶんそういうタイトルの曲だと思われる)。夕日が沈む波打ち際のようなちょっと寂しげな曲調は「さあ、帰りましょう」という雰囲気を作るためだったのだろうが、どっこい…

熱き体育会系の練習は佳境に入り、締めくくりの練習にボルテージが上がって行くところ。なので、その曲を聴くと、ヘロヘロの体に鞭を打つ苦しさ、それをごまかすように奮い立つ気持ち、響く雄たけび(喚いてなければやってられなかったともいうが)、という曲想とは全く異なった記憶と結びついている。青春のひとコマを思い起こす曲というと、なんとも甘酸っぱく、いかにもあの曲のイメージと合うのだが、しかし真実は、あの曲を聞くと今でもその瞬間に「血沸き肉躍る」のである。なにか「悲しみのトレアーデ」という曲に申し訳ないような気もする。